2013年6月28日金曜日

2013 劇団通信4月号

続けていくことの大切さ、難しさを日頃から嫌という程思い知らされていますが、先日上演した「ひとりミュージカル」の稽古に入ってみて、若い頃から積み重ねてきた役者としての最低の訓練の継続がなされていなかった自身の甘さにひどいショックを受けてしまいました。
児童劇団を立ち上げた20年前、自分では役者から足を洗ったつもりでいたので特別な日頃の訓練もしないまま過ごしてきたツケが今になって回ってきたのです。18年前の初演に比べると滑舌も衰え、すっかり口が回らなくなってしまっていたことにいたたまれない思いが込み上げてきました。
年齢のせいでもなく只々自分の愚かさに無性に腹立たしくなり、取り戻すことのできない年月が貴重な宝物を失ったように思われてしまいました。
現役であろうがなかろうが若い頃から積み重ねてきたしゃべりに対するこだわりが脆くも崩れ去った苛立ち、後悔の念に苛まれ私の生きざまを根本から否定されたような気にもなってしまいました。しかしそんなことにくじけていては本番を迎えられない! 昔の感覚を少しでも取り戻せるように出来る限りの努力してみようと気持ちを切り替え、毎日一つでも進展するようにこつこつと稽古を重ねていきました。
無謀なひとり芝居も終わってしまった今、反省することは山ほどあっても、前向きに取り組んだことで自身の中での高揚感と更なる向上心が出てきたことは不思議な現象と言わざるをえません。何とも言えない本番寸前の緊張感が更に追い打ちをかけるように昔を甦えさせるのです。

2013 劇団通信3月号

「初台子どもミュージカル」に在籍していた田草川ゆかりが2年前23、5倍の難関を突破して宝塚音楽学校に入りました。そして今年3月に無事卒業することになりました。
2月23日(土)私は文化祭と称するその卒業公演に宝塚まで行ってきました。さすが宝塚と思わせる若いピチピチしたこれからのタカラジェンヌが思いっきり歌い踊っていました。よく訓練された統制のとれた動きは、やはり2年間毎日レッスンに励んできた成果が表れとても気持ちよく観ることができました。大勢の中で舞台に立っている田草川ゆかりはすぐに私の目にとまりました。
教え子が笑顔を絶やさず踊っている姿に感激し、デュエットで歌っている時にはこれからの活躍が約束されているような高まりを感じて目頭が熱くなりました。正に我が子のいや孫の活躍を見ているおじいちゃんの心境でした。
さて、プログラムを見ると入学した一年間は朝早くから毎日学校中がピカピカになるまで掃除をしていたそうです。これは学校の伝統で憧れの華やかな宝塚に入った生徒たちはそこで現実の厳しさに直面して戸惑い、舞台に立つことと何の関係があるのかと心の中で毎日泣いていたに違いありません。私がいた劇団四季でも研究生たちの一日は掃除で始まるのです。それに引き換え我が劇団の子ども達は掃除なんかしたこともないようなのがたくさんいます。
そんな子を見ていると宝塚や四季のような厳しさで統制した方がいいのかと思うこともありますが、強制することを好まない私としてはどうしたらいいものかと考え込んでしまいます。

2013 劇団通信2月号

観客のマナーについて書いてみたいと思います。
先日四谷の公演会場でのことです。開場と同時に先を競って席取りが始まりました。先に入った人が後から入ってくる人の席を確保する、劇団ではこのようなやり方は絶対に良くないと以前にも禁止令を出しています。しかし新しく入団した人達は恐らく知らないのでしょう。あさましくも10席位確保した人がいたらしいのです。
これはアンケートに書いてあったものですが、絶対に許してはいけないルール違反です。しかも劇団員の身内らしいということで愕然としてしまいました。会場係がチェックしなければならなかったのですが、看過してしまったことは仕方ないにしても他のお客様を不愉快にさせてしまったことは事実で、割り切れないものを感じてしまいました。
先に入って荷物やプログラムを置いて席を立ってしまえばチェックのしようがありません。そんな浅ましいことをしてでも席を取らなければならないことがあるのでしょうか。劇団ではこれから厳しく対応していきますが、席取りに限らず観劇の態度も一人ひとりの自覚によるところが大きく、ビニール袋の音や物を食べる音、足を動かして音を立てる子ども、又、大人でも座席で前に乗り出すようにしている人がいますが、その人の後ろにいる人は迷惑千万、舞台が見えなくなってしまいます。
座席に座ったら背もたれにしっかりと身体を預けて観るのは常識です。自分たちさえ良ければという現代社会のひずみが劇場という小さな空間でも現れています。

2013 劇団通信1月号

昨年の暮れに衆議院選挙が行われ政権が新しくなって今年は景気も回復するだろうと期待感が高まっているようです。
確かに何かが新しくなるというのは新年を迎えた国民にとって新たな希望を与えてくれるような絶好のタイミングであるように思います。何事にも節目があってそれをリフレッシュの機会と捉え、新たな気持ちで取り組めば今まで見えなかったものが見えてくる可能性があります。
劇団も20年という節目を迎えています。10人でスタートした小さな劇団でしたが、「大きな夢」という名前を掲げて夢を追い続けてきました。夢は実現するかしないかに拘わらず描き続けることが大切だと自身に言い聞かせてきました。そしてその夢も次から次へと姿を変えながらどんどんアップしているために夢が実現した実感は一度もなく、もっと大きくもっと楽しい夢を描きながら走り続けています。70歳になった私ですらそうですから、若い人達はそれこそ無限の可能性の下にとてつもない大きな夢を描いて欲しいのです。
私の命には限りがありますが、劇団には寿命はありません。私が描いている夢を次代の人達が受け継ぎ、更にその次へ、そして又その次の人達へと引き継ぐことが出来れば、果てしない夢と思われていたこともいつかすんなり実現して当たり前のように通過したように思われる時がくるかもしれません。
誰もが一つの目標を達成して次の目標に進むように劇団の夢も一つ一つ実現していく中で絶えず向上心を失わず進み続ければ最高峰到達の夢も現実のものとなるに違いありません。

2012 劇団通信11月号

劇団通信に「情報をお寄せ下さい」というコーナーを設けて父母会の皆さんに呼びかけました。
お寄せいただいた方の中には勿体ないほどの才能やキャリアを眠らせていた方が何人かいました。子育てに追われてそれどころではなかったのでしょう。折角持っている才能や能力を生かせないまま一生を終わってしまうかもしれないと諦めている方も多いと思います。
みなさん、諦めるのは早すぎます。チャンスはいたる所に転がっています。タイミング良くそれを見つけ、少しでも前向きに動いて行けば自ずと道は開けてくるものです。昔取った杵柄という言葉がありますが、今度立ちあげたBDP企画はそのような人達によってたくましく動き始めています。第一線でバリバリ仕事をこなしていた人や取得した資格が今頃になって生かされる人など、思ってもみなかった人生の展開に当事者が一番驚いていることではないでしょうか。
劇団は益々大きく広がっていくと思います。そのためにも昔取った杵柄の力を借りなければなりません。すぐに仕事として生計に結び付くとか考えないで、可能性という道を進むために自分の出来ることを今一度考えてみて、その能力の一端でも劇団に捧げていただければと思います。
女性も40代から50代になるとなかなか思うような仕事にはありつけません。素晴らしい才能を持っていながら埋もらせてしまうのは本当に勿体ないことです。知恵を絞ることで収入にも結びつくような仕事が確保でき、それが劇団の発展に繋がることであれば双方にとってこれほどステキなことはありません。

2012 劇団通信10月号

一つのことを続けることの大切さを機会あるごとに子ども達に言って聞かせています。しかしこれほど難しいものはありません。1年や2年で終わることではなく20年30年、いやもしかしたら一生続けていく。そうなればもうプロ中のプロ、他の追随を許さない大専門家の位置に到達しているのです。人として生まれてきたからには誰もが自分が生きてきた証となるようなしっかりした人生を送りたいと思います。
そのためには何か一つでいいから続けていきたいと思うでしょう。商売にしても、芸術にしても、職人さんのような腕を磨くことは一生を通して出来ることです。本気で立ち向かう気さえあれば出来ないことではありません。ひたすら一つのことに打ち込むこと、聞こえはいいけど生易しいことではありません。何度も挫折を繰り返し、自分の能力を疑い、打ちひしがれながらも又立ち上がり、光の見えない長いトンネルを歩いて行くようなものです。
自分に与えられた人生は自分だけのものです。他人との比較ではなく自分にしかできない素晴らしい能力をそれぞれ一人ひとりみんなが持っていることを知るべきです。その能力や才能は一生かかって磨いていくもので例え結果がどうであろうとも続けていくことに意義があります。それが人生であり、この歳になって最近つくづく思うようになってきました。
私は小学5年生の時にこの業界に足を突っ込み今なお続けている奇特な人間ですが、それでも毎日これでもかこれでもかと磨かせられている試練の人生です。

2012 劇団通信9月号

超過密なスケジュールの中で慌ただしく過ぎた今年の夏も体調を崩すこともなく「福岡」を除く各地の全ての公演に顔を出すことができました。春の公演シーズンと違って健康でいられたことを心から感謝しています。本来ならこの先劇団の経営を後進に任せて私は少し楽をしようと思っておりましたが、天は「休まず進めよ!」と再び私を荒海の中に押し出してくれたのです。
幸い30歳になった3人の美女たちが浮輪をもって私が沈まないようしっかり伴泳してくれているので泳げるだけ泳いでみようと水面に出ている顔は平穏であっても水の中では犬かきのように必死に手足を動かしもがいているこの頃です。
 それにしても最近の劇団は次から次へと飽きないほどいろんなことが押し寄せてくるようになってきました。思いもよらない話が湧き上がったり、とんでもないアイデアが浮かんできたり、タイミングよくふさわしい協力者が現れたり、毎日毎日が新鮮な出会いや楽しい出来ごとに満たされています。休まず前に進んでいるからこその現象であり、そして明るく笑い感謝しながら生きていれば必ず楽しく幸せなことが寄り集まってくることを実感しています。苦虫を噛みつぶしたような顔で不満ばかり言っているようなところへは誰も寄りつきません。「新・タマゴン」でも言っています。「怒るのは全ての動物に出来る、笑えるのは人間だけ!声を出して笑えるのは人間の特権!」この笑える特権を生かそうではありませんか。
 私はどこでも座が明るくなるように下らないジョークを飛ばしていますが、又親父ギャグが始まったと白い目で見られても懲りずに続けていこうと思っています。

2012 劇団通信8月号

アイバンクのミュージカルでいつもお世話になっている坪田一男先生は眼科の教授だけだと思っていたが、最近出た著書には慶応義塾大学医学部環境情報学部教授となっている。更に日本抗加齢医学会副理事長、日本再生医療学会理事などの肩書をお持ちだ。あらゆることにご興味をお持ちで好奇心が旺盛、何事も徹底して貫こうとなさる姿は驚きを通り越して神々しくさえ見え、私など足元にも及ばないあまりの違いに愕然としてしまいます。
その先生が先月「ごきげんな人は十年長生きできる」(文芸春秋)という本をお出しになった。これまでも先生のご著書に触れる度に刺激を受け自分の生き方を反省したり発奮したりしたことはままあったが、今回の本は先生の生き方、考え方の総まとめといったような内容豊かなもので、しかも医師の立場から人が幸せになるためにはどうしたらいいか、幸せというのをサイエンスとして捉え医学的データや実験によって分かりやすく解説した万民に読んで頂きたいお薦めの本です。
サブタイトルに「ポジティブ心理学入門」とありますが、一般に言うプラス思考というだけでなくポジティブとネガティブの使い分けによって更に幸せ度が増すといった新説?が興味深く、これを読んだだけで目の前に明るい光が差し込んできたような「ごきげん」な気分になってしまいます。
自分は幸せだと思っている人も、そうでない人もこれからの生き方を更に充実したものにアップ出来る必見の書です。定価720円です。劇団事務局でも販売を取り次ぎますので是非ご購読下さい。

2012 劇団通信7月号

私のように年齢を重ねてくると肉体の衰えを感じるのが多くなってきました。
それは必ずしも体力的なことではなく肌の張り具合だったり、皺やシミ、あるいは頭髪のことなど鏡に向かう度に思い知らされています。花が咲き、やがてしおれ、枯れ落ちていくように生命あるもの全てが辿る道であるとは分かっていても、巻き戻しがきかない人生、これで良かったのか? やり残していることがまだ一杯あるのではないか?などの思いに至ります。そしてまだやれる時間はある筈だ!といい歳をして若者みたいな意欲がわき起こってきます。ところが周りにいる若者や育ち盛りの子ども達と接しているとあまりのギャップにたちまち打ちひしがれてしまいます。
こんなおじいちゃんに何が出来る? 人生経験や芝居のキャリアでは絶対に負けていない! と自らを鼓舞し心の中で反撃に出ます。ウサギとカメではないけどウサギにはもうなれない。のろりのろりとカメでいいからゆっくり進んで行こう、とは思っても時々ウサギのように走りたくなって息切れを起こし身体を壊してしまう。車の運転でもゆっくり行けばいいものを変な追い越し方をされると一気に逆襲に転じて追い越し、バックミラーを見てニヤリと満足。歳を考えなさい!と心の声が必死で訴えても車はアクセル踏むだけで息切れしないから関係ないと意気がってみせる。どうしようもない老人だと自分でも思うが性格だからと諦めるしかない。
私はちょうど七十歳になりました。これからの新しい人生を大いに楽しみながら、まだまだ前向きにガッツを持って進んで行こうと思います。

2012 劇団通信6月号

舞台や映画、ドラマや小説でも男女の関係が描かれて成り立っているものが多く、観客や読者は少なからず自らの立場に置き換えて涙を流したり怒ったり悔しさを共感したりするのです。
さて「大きな夢」の演目にもいろいろあります。「あまんじゃく」のゲンタとサチ、「夜空の虹」のムームとアンナ、「ロンの花園」のロンとミミ、「ロビンソン」のリリーとトビー、「タマゴン」のタマゴンとマイ、「森プリ」のライオネルとポピーなどほのぼのとした男の子と女の子の関係が描かれていますが、それらを上演するたびにいろいろ考えさせられます。
演ずる子どもの年齢によっても意識や表現の仕方は様々で、例えば中学生の女の子で外見は立派な大人に見えても恋愛感情が全く理解できない子がいたりします。えっ? 男の子を好きになったことがない? だめだよ、恋をしなさい!なんて本気とも冗談とも分からないようなダメ出しをしてしまいますが、異性を好きになった時の動きやセリフの言い方は恋心を知ると知らないでは大きく違ってきます。説明しても理解してもらえないとなると演出プランを変えなければなりません。逆に低学年になると「そこで二人で手をとって」と言っても照れてしまって先に進まないこともあります。この場合もプラン変更です。
恋愛的成熟度は個人差があって当然ですが、微妙な年齢の子ども達を相手に稽古していると、中学生の時に好きだった女の子に一言も声をかけられなかったピュアな自分と重なって一人ニヤリとしてしまいます。

2012 劇団通信5月号

私は初めて「病に倒れた!」という気がしました。きっかけはちょっとした油断が引き金になり風邪をひきました。大したことないだろうと適当に薬を飲みながら稽古に通い、森プリの本番を迎え、終わった途端に完全にダウンしてしまいました。しかし、すぐに「やまと」と「アイバンク」の公演が控えています。無理をして稽古に出かけては震えが止まらなくなって高熱にうなされ、大病をしたことのない私にとって生まれて初めての経験となりました。
幻覚のように本番や稽古のシーンが目の前をよぎり何としても出かけなければと焦り、「やまと」の本番には最悪の状態で出ていきました。そして翌日が東京フォーラム。更に4日後熊本でのインタビューの約束もあり出かけていきました。そして新百合の最後の追い込みに顔を出し、ゲネプロでも鼻声で叫んでいました。
 「たかが風邪」と思っていたのが、もしかしたら命取りになるかもしれないとも思いました。若い時はすぐに回復したものが、知らず知らずのうちに疲れがたまって免疫力が低下したのか、日常の在り方を深く反省することにもなりました。身体あっての活動であり、適度な休養は絶対に必要であることも思い知らされました。スポーツジムで身体を鍛えているつもりでも、休養を取っていない身には疲労の蓄積にしかならなかったと愕然としました。
 幸い劇団スタッフは、今後の私のスケジュールを無理しないように調整してくれているし、その思いやりを素直に受け止めて回復に努めています。

2012 劇団通信3月号

2月末の「森プリ」の稽古場に山崎陽子先生が素敵なファッションで颯爽とお見えになりました。
黒いセーターに黒のパンツ、そして目の覚めるような赤のブレザー。ヘアースタイルもはいつもとは違う! えっ? 先生いくつだったっけ? 昭和10年のお生まれだから76? まさか! そんなお歳には絶対に見えない! 驚きと共に私まで若返ったような気持になってしまいました。先生も一度病に倒れて大変な時期がおありだったようですが、今ではすっかりお元気になられ、「森プリ」で子ども達と接して頂くようになったこともあってか益々お美しく、この日は若い頃の先生が甦ったようにまぶしいばかりに輝いていらっしゃいました。
若さや美しさを保つことは並大抵のことではありません。私は男性だから美しさは必要ではありませんが、それでも日々衰えていく皮膚の張りや薄くなる頭の毛など鏡を見てはどうにもならないものかと嘆いています。特に女性の方だともっと深刻ではないでしょうか。美を保つための運動やエステでの努力、ヘアースタイル、お化粧、着るもの、アクセサリー、香水などお金のかかることは男性の比ではありません。しかしそれらを満たしても内面の高揚感や喜びがなければ真の美しさは表現できません。山崎先生の場合は容姿と内面の美しさがマッチしているからこそご高齢であっても輝き続けていらっしゃるのです。
私も嘗ては顔が良いと輝いていましたが、衰えてきた今はお金のかからない内面を輝かせることにせっせっと努力しています。

2012 劇団通信2月号

「空いた口が塞がらない」というお粗末な出来事が政治は勿論警察や役所、民間企業にいたるまで最近とみに多く目立ってきています。イタリアの豪華客船の船長に至っては言語道断、そのような欠陥人間を船長にしていた会社側の責任も厳しく問われなくてはなりません。しかし事件とか不祥事が発覚する前に当事者の歪んだ人間性や行動を予測し防止するなんてことは不可能に近いことでもあります。人は誰しも完全ではなく欠点もたくさん持っています。そしてその欠落した部分を極力表に出さないようにして良い人間であり続けるための芝居をしているのです。ですから学歴や簡単な面接だけで人間の本質が分かるものでもなく、いわんや不祥事を起こすかもしれないなど誰にも見抜ける筈はありません。
人は誰でも魔がさして許されることではないと分かっていてもやってしまうことは往々にしてあります。だからと言って不祥事を容認していいことにはなりませんが、個人の人間性に依存するよりは企業や団体がシステムとしてチェック体制を強化することの方が重要であると思います。そのシステムが緩んでいるから「空いた口が塞がらない」事件が後を絶ちませんが、それにしても一人ひとりの人間性がもう少し向上すれば空いた口も半分ぐらいに縮まるのではないでしょうか。
人間性を高めるにはひとえに子どもの教育・しつけにかかっています。何でも与えられっぱなしの現代の子ども達、犬には厳しくしつけをしても我が子に甘い家庭ではどうしようもありません。

2012 劇団通信1月号

一昨年の11月に一念発起して近くのスポーツジムに通いはじめました。20から30代にかけてかなりの頻度でジム通いしていたので何の抵抗もなく快適な滑り出しを見せました。しかし、ベンチプレスなど昔は今の3倍は持ち上げられていたのが全く通用せず、年を重ねる寂しさを感じながらも少しずつ重量をアップさせていきました。ところが夏の公演時に入ると全く時間が取れなくなり、昨年の7月からはほとんど行けなくなってしまいました。張り気味だった胸の筋肉もだんだん元に戻っていくのです。30分でもいいから行ける時に行って続けようと思いながらも、ついに12月まで一度も行けないで終わってしまいました。会費を払っているから勿体ないという経済感覚も薄れ、自分の意思の弱さにほとほと呆れかえっています。
 日ごろ子ども達に続けることの大切さを食事に例えて話をしています。「食事は朝、昼、夜に分けて食べているから成長するのだ。それを一週間まとめて一気に食べたらどうなる。まともに食べられないし身体を壊すばかりだ。一週間に一度レッスンをしてやった気分になっても仕方がない。発声や滑舌、ストレッチやダンスのステップを毎日食べるのと同じように少しでいいからやっていけばどんどん上達するのだ」と。
 ところが最近の我が身を振り返ると恥ずかしくなります。もう年だからいいのだと自己弁護する一方で続けろよと叱咤している自分がいます。こうして公表することで少しでも前向きになれたらと思います。

2011 劇団通信12月号

「南大沢子どもミュージカル」の劇団員佐藤姉妹のお父さんは橋本の駅前で歯科医院をなさっています。
2年ほど前から私もお世話になっていますが、最近歯の表面の白さがうす汚れてきたのが気になっていたため、長年使っている高齢者の歯でも白くできるのかと聞いたところ、ホワイトニングすればたちまち白くなると言われ、即決で申し込みました。マウスピースのような歯型を作り、その中にほんの少量の薬品をたらし歯にかぶせて寝るだけで効果が現れるというのです。
使用した翌朝には確かにはっきりと変化がみられ1週間後には信じられない程の白さが復元したのです。鏡を見てニターッと横に口を開くと夢にまで見た白い歯がまぶしく輝いているのです。他人が見たらほとんど気にならないような変化であっても、私の中では天と地ほどの開きがあり、鏡を見る度に幸せな気持ちになって笑顔をもっともっと振りまきたくなるのです。若い頃から歯には充分気を付け手入れをしてきたつもりであっても、毎日毎日使っているといつの間にか汚れもたまり歯肉も衰えてきます。それをケアーしてもらうために長年歯医者さんに通っていましたが、ここに来て自分が青春時代に戻ったような気になったのです。
私の歯は2本だけを除いてすべて自分の歯で健在ですが、笑顔の時に見えるほんの数本の歯の変化だけでこんなにも幸せを感じることが出来るのかと不思議に思いました。白くなったのをきっかけに更に出会った人たちにさわやかな笑顔をふりまくことが出来る喜びをかみしめています。

2011 劇団通信11月号

今年の5月、中国の上海から女性プロデューサーが4歳の女の子を伴って劇団に私を訪ねてきました。
話を聞くと、その女の子が1歳の時にたまたま日本にいて八王子こどもミュージカルの「ピエロ人形の詩」を観劇、子ども達の純粋な演技に感動して、自分の娘にもやらせたいとその場で入団申込書に記入して提出したが、1歳はまだ早すぎると断られてしまい、もともと日本に留学していた彼女は娘のために日本で暮らそうとまで思ったということです。
現在上海でプロデューサーとして幅広く活躍している人ですが、ご主人は上海の国立の演劇大学で教えていて演出家としても知名度のある方だそうです。そのご主人は私たちが日本でやっている子どもミュージカル活動を高く評価し、中国でも絶対に必要な情操教育の場として位置付けたいと熱く語る夢多き方です。このご夫妻からすると「大きな夢」は理想的な活動であり、どうしてここまで来たのかと常にネットを通じて羨望の眼差しで見ていたというのです。
10月の初めご夫妻が来日されたのでいろいろお話をすることができましたが、たまたまその日が「しあわせの青い鳥」の顔合わせと稽古初日だったので見学もしてもらいました。ご夫妻は11月から上海戯劇学院の構内で子どもミュージカルを発足させ、来年の5月には中国語の「ピエロ人形の詩」を、第1回公演として上演したいそうです。そしてBDPに全面的な協力の要請がありました。これからどのように進展していくのかとても楽しみです。

2011 劇団通信10月号

カナダのワークショップに参加した日本の子ども達と一緒にトロントでミュージカル「ビリー・エリオット」を観劇しました。昨年の10月に私はロンドンでこの舞台を観て感動し、劇団の子ども達にも機会があれば是非観てもらいたいと思っていた作品でもあります。
幸いトロントで上演している時期と私たちの日程がうまく合ったために実現したもので、観劇した劇団員やスタッフにたくさんの刺激を与えてくれました。主役の12歳の男の子が素晴らしく、歌はもちろん、バレエ、ジャズダンス、タップ、ヒップホップ、アクロバット、そしてワイヤーアクションと信じられないような見事な演技に震えが止まないほど感動してしまいました。しかもその子と同じような実力を持った男の子が3人も控えており、交代しながら長期間の上演をこなしているのです。果たして日本にそのような子どもが1人でもいるのかと考えてみても皆無に等しいと言わざるを得ません。
ニューヨークとトロントは飛行機で1時間半の距離、ブロードウェイのヒット作品がトロントでも常に上演されている環境を考えると、カナダでもNYと同様のトレーニング出来る土壌がしっかりと確立されていることをうらやましく思ってしまいます。
この作品はブロードウェイでも、ロンドンのウエストエンドでも上演されていて、それぞれに主役が出来る男の子が何人も控えているのです。子ども達のレベルの差は歴然としており、日本でもこのような子どもを輩出できる環境を整えていかなければと、私たち劇団の使命を一層強く感じました。

2011 劇団通信9月号

先日メガネをどこに置いたか分からなくて捜し回っていたら、ちゃんとメガネを掛けているのに気がつきました。考え事しながら風呂から上がったら髪の毛がべたべたしていてリンスを洗い流さないで出てきたのに気がつきました。こんなことが最近多くなってきました。
今年も各地での公演でお客様を感謝の気持ちでお迎えしようと会場入り口付近に立ちましたが、最近は劇団員の人数も増えたこともあって、来場の子どもたちを見てもどこのカンパニーなのか分からなくなることがしばしばあります。父母会の方にしても何度もお会いしているにも拘わらず余所の公演会場でいきなり顔を合わせると、どこのどなただったかと一瞬名前と所属が思い出せなくなることがあります。最悪の場合2~3日前にお会いしてお話していたのに「どなたでしたっけ」と尋ねて大恥をかいたことも何度かあります。
脳細胞が急激に減少しているためだと自分では諦めてはいても、相手の方には大変失礼な態度に見えてしまいます。これをお読みになった方は公演会場に限らずお会いした時に出来れば所属とお名前を一言仰っていただければ大変に有難いと思います。
年齢を重ねることはその年になってみなければ分からないことがたくさんあり、自分では勝手に若い時の延長のような気持ちでいても、現実とのギャップに出合って打ちのめされることが多々あります。誰もが辿っていく道のりですから、どうぞ皆さんのおじいちゃんやおばあちゃんに優しく接して上げてください。

2011 劇団通信8月号

「南大沢子どもミュージカル」にいた昆夏美がミュージカル「ロメオ&ジュリエット」のジュリエット役でメジャーデビューすることになり電話で知らせてきました。本人の喜びは計り知れませんが私にとってもこれまでやってきた児童劇団の活動が認められたような気がしてとても嬉しく思いました。本人の実力からすると成るべくしてなったという感じもしますが、何よりも謙虚で明るい人柄がチャンスを引きよせたような気がします。いくら力があってもチャンスに恵まれない人もたくさんいる中で、運命の女神が彼女に微笑みかけてきたのでしょう。
オーディションでは劇団でも歌唱指導などでお世話になっている山口正義先生も審査員だったようで、昆夏美に対しては審査員全員が即決するほどの安定した実力が評価されたということです。彼女は劇団の「夢コン」でもグランプリをとった実績もあり、又、山口正義先生とはBDP公演「くしなだ」の舞台で共演したこともあって旧知の間柄。その先生にメジャーの「ロメオ&ジュリエット」で歌唱指導を受けることになるなんて不思議な因縁を感じてしまいます。
又、来年の二月には東宝のロックミュージカル「ハムレット」のオフィーリア役にも決まったそうで、日本の演出家の第一人者栗山民也さんのもとで井上芳雄ハムレットを相手にどんなオフィーリアを演じるのかとても楽しみです。まだ大学二年生という若さ、実力が伴っていけばしばらくはスター街道を走っていくことになるでしょう。

2011 劇団通信7月号

「健康」ということに誰もが気をつかって生きていますが、その健康を維持していくための生活方法は様々です。身体を鍛えるとか、栄養のバランスやサプリメントの補給、暴飲暴食を控え睡眠不足に陥らないなど一般的に実行されていることですが、ではそれらを全て満たせば健康を害さないかと言えば決してそうではありません。適度な運動は絶対に必要だし、食事のバランスも、栄養補給も必要です。
しかし一番肝心なのは心の状態がバランスよく保たれているかということです。楽しい気持ちになれるか、明るくわくわくするようなことが生活の中にあるのか、美しいものをみて感動したり、人の思いやりや優しさに触れて感激の涙を流し、人さまのお役に立って喜ばれた時の充足感や爽快感など、内面の高揚感や平穏さが伴わなければ真の健康とはいえません。いくら外面を整えようとしても人を憎んだり、恨んだり、怒りや嫉妬心のような心の中に強い思いやわだかまりがあれば確実に健康を害します。反対にいつもニコニコ明るくしていられるような心に余裕を持つ生き方をすれば健康で繁栄に輝く人生を送ることができるのです。
慶応医学部の坪田教授はこれらの外も中もバランスのとれた健康法を、つまり理想的な「ごきげんな」生き方を実践なさっていて、いつも私に凄い刺激を与えて下さっています。とても足元にも及びませんが、アンチエイジングを掲げて精力的な活動をなさっている先生に少しでも近づければと肉体と心の両面の活性化のトレーニングを続けています。

2011 劇団通信6月号

いつも音響でお世話になっている小幡亨さんからご自分の故郷の熊本で子どもミュージカルを立ち上げられないかというお話をいただきました。小幡さんは劇団四季で長い間音響で活躍し、今も日本の一流の舞台や劇団での音響を幅広く精力的にこなしていらっしゃいます。私たちの「子どもミュージカル」でもいつも素晴らしい音で舞台を盛り上げていただき、贅沢と思われる程のワイヤレスマイクを提供していただいたりしていますが、ひとえに小幡さんの劇団に対するご厚意と感謝しているところです。あらゆるミュージカルに精通していらっしゃる小幡さんのような業界の方から「立ち上げ」の話が出た時には、えっ?冗談でしょう、と我が耳を疑い驚いてしまいました。普段は寡黙で音響一筋の切れ者という存在感、配下の音響スタッフを厳しい目でごらんになっている姿しか知らなかった私としては当然の反応でした。
5月の中旬阿部奈音子を伴って小幡さんと3人で熊本に出向きました。空港には地元でアナウンサーをなさっている小幡さんの美しい妹さんが出迎えて下さり又々驚いてしまいました。更に小幡さんの高校の後輩で地元新聞社のカルチャーセンターの事務局をなさっている方の関係で、素晴らしいスタジオをお借り出来るというお膳立てまで出来ていて小幡さんの温かい対応に感激のしっぱなしでした。更に妹さんの豊かな人脈によって新しい企画が実現しそうな可能性もあり、人の繋がりや縁の不思議さをしみじみと感じているところです。

2011 劇団通信5月号

東日本を襲った大震災は私たちに様々な反省や課題を突き付けています。あまりにも便利になりすぎていた日常の生活、節約や倹約が忘れられたような飽食的な生き方の中で、失ってみて初めて知る当たり前の生活の有難さ。電気にしてもいかに無駄な使い方をしていたか不便さの中で誰もが思い知らされています。今、夜は街灯の点灯が半分くらいに減らされていますが、却って街を歩いていても夜らしく新鮮で心地良ささえ感じます。ある程度不自由しない位の灯りさえあればいいし、けばけばしいネオンが消えるとホッとします。これまでいかに無駄な電力を使っていたか皆が気付き始めています。夜というのは暗いのが当たり前、その本来の姿に戻りつつあることは決してマイナスではなく、電力の消費に限らず根本的に人間が生きるということを考え直すきっかけを今回の震災が与えてくれたようにも思います。
劇団も公演の照明で電力を使うのはよくないように言われることもありますが、舞台で使用する電力は浪費とは違います。電力を消費することが悪いのではなく有意義に活用させることが大切で、芸術文化やスポーツで消費する電力を敵視するような考え方はよくありません。それよりも日常生活の中での節電を心がけ、社会的にも街灯やネオンなど夜の対策を根本的に考え直す必要があります。
「無駄」という線引きは難しいところですが一人ひとりの生き方が反映されるものではないでしょうか。

2011 劇団通信2月号

カナダのe-nikkaメールニュースに次のような記事が載っていました。
『NHKのニュースで菅首相が国会で施政方針演説をしていた。翌日オバマ大統領が米議会で一般教書演説をする様子が映った。両者のスピーチぶりを観察したら、その違いがはっきりと分かった。菅首相はほとんど下を向いて原稿を読んでいる。もっと議員やテレビを見ている国民に生きた言葉で話しかけるような姿勢はできないものか。オバマ大統領はおよそ一時間にわたり雄弁をふるった。原稿はほとんど見ない。身振り手振り活発、顔の表情も豊かにスピーチする光景はさわやかにさえ感じる。聞いている人達に説得力が伝わってくるのだ。カナダの連邦議会では首相をはじめ、閣僚、議員たちは英仏両語で議論を交わしているが、原稿を読みながら下を向いて演説する光景はあまり目にしたことがない。日本は欧米に比べてスピーチとかディベート(討論)に対する熟練度がまだまだ足りないという意見が聞かれる。ある人いわく「カナダでは幼いときから学校でShow and Tellの教育を受けているから、大人になって公衆の面前で自分の考えをはっきり言えるのだ」
人前で物事をはっきり話す、プレゼンテーションを的確にこなす。 社会生活に不可欠ともいえる上手な話し方の訓練をもっと重ねる必要があるということなのだろうか。』
幼少の頃からの訓練は日本の学校ではほとんどなされていませんが、児童劇団「大きな夢」は正に打ってつけの場所であるような気がします。
東日本を襲った大震災は私たちに様々な反省や課題を突き付けています。あまりにも便利になりすぎていた日常の生活、節約や倹約が忘れられたような飽食的な生き方の中で、失ってみて初めて知る当たり前の生活の有難さ。電気にしてもいかに無駄な使い方をしていたか不便さの中で誰もが思い知らされています。今、夜は街灯の点灯が半分くらいに減らされていますが、却って街を歩いていても夜らしく新鮮で心地良ささえ感じます。ある程度不自由しない位の灯りさえあればいいし、けばけばしいネオンが消えるとホッとします。これまでいかに無駄な電力を使っていたか皆が気付き始めています。夜というのは暗いのが当たり前、その本来の姿に戻りつつあることは決してマイナスではなく、電力の消費に限らず根本的に人間が生きるということを考え直すきっかけを今回の震災が与えてくれたようにも思います。
劇団も公演の照明で電力を使うのはよくないように言われることもありますが、舞台で使用する電力は浪費とは違います。電力を消費することが悪いのではなく有意義に活用させることが大切で、芸術文化やスポーツで消費する電力を敵視するような考え方はよくありません。それよりも日常生活の中での節電を心がけ、社会的にも街灯やネオンなど夜の対策を根本的に考え直す必要があります。

2011 劇団通信1月号

人との出会いは準備されたものではなく、ほんのちょっとしたきっかけであったり、たまたま偶然に出会うこともあれば学校やグループでの出会い、或いは仕事上での付き合いなど人によって様々です。誰に出会うかによって人生が大きく変わることは誰しも経験していることで、運命が好転することもあれば逆の場合もあり、なんでこんな人と出会ってしまったのかと呪いたくなることもあります。
実はどんな人に出会えるかが人生にとって最も大事なキーポイントだと思います。自分の回りを見回せばいろんな人がいます。いい人もいるし悪い人もいる。いい人というのは自分にとって都合のいい人であって、本当にいい人かどうかは分かりません。自分の回りに集まってくる人は自分の波長に近い人だと解釈すれば、自分がそれらの人を引きつけていることにもなります。都合の悪い人は自分の前に来てほしくないのになぜか一人や二人は必ずいるものです。そんな人のために悩んだり憎んだりして精神をかき乱されている人が何と多いことでしょう。逃げようと思ってもヒルのようにべったり吸いついて簡単には離れません。
見方を変えてその人によって自分の精神が鍛えられていると思えば自ずと付き合い方も変わってきます。自分が変われば相手も変わります。これ程確かなことはありません。嫌だと思っているうちはどんどん嫌な行為で迫ってきますが、こちらが変わればやがて自分に波長が合わない人は自然に去っていきます。
これは間違いのない世の中の法則なのです。

2013年6月27日木曜日

2010 劇団通信12月号

10月の終わりにイギリスのロンドンに行ってきました。
往復旅費が無料になるほどマイレージが貯まっていたので思い切って出かけましたが、刺激一杯の一週間でした。
ロンドンのウエストエンドはNYのブロードウェイと並んで世界一の劇場街で毎日何十本ものミュージカルや芝居がロングラン上演されています。かつて私はNYとロンドンで一年おきに交互に観劇しようと思って実行したことがありますが、スケジュールや経済のことでいつの間にか間隔が空いてしまい、今回のロンドンは5年ぶりとなりました。5年前は阿部奈音子、霜島愛生と3人で行きましたが、その時観た演目も相変わらず同じ劇場で上演しているし、今回7つの劇場で観たミュージカルもいずれも盛況で、老若男女、夫婦やカップル、親子など日本では考えられない観客層で埋め尽くされていました。又、特に強く印象に残ったのは映像を巧みに取り入れた舞台美術の見事さ、あらゆる技術を駆使して観客を惹きつけていく舞台転換は、日本の舞台とはあまりにもギャップがあり過ぎて私の焦燥感を煽りたてることにもなりました。
勿論、比較になることではありませんが、描き割りセットで転換している私たちの舞台が時代に取り残されているような淋しい気持ちにもなりましたが、しかしどんなに美術や照明が良くても肝心な作品の中味が良くなくては意味がないと一人強がりのつぶやきを発しながら観ていた舞台もありました。

2010 劇団通信11月号

10月10日の日曜日、アイバンク主催の「ドナーファミリーの集い」に参加しました。この会では毎年恒例になった「大きな夢」児童劇団員のコーラスがプログラムの最後を飾るイベントとしてすっかり定着しています。以前は出演者をピックアップしていましたが数年前から「初台子どもミュージカル」の年間行事の一つとなり、今年も14人の劇団員が「翼を下さい」「光のリレー」「千の風にのって」の三曲を歌いました。
角膜移植をして目が見えるようになった喜びの声や、角膜を提供したドナーのご家族の声、特に逝去の慌ただしさの中で決断しなければならなかった尊いお話など聞いていていつも胸打たれます。この集いの日には私も自分の死後角膜が役に立つなら提供したいと毎年心新たに決意しますが、この会の性質上その高揚感や喜びといった明るい雰囲気にはなり得ず、重い空気が漂っている中で只静かに身を置いているだけです。
そんな時、重苦しい表情の皆さんの顔が、子ども達が壇上に上がった途端一瞬にして和やかな明るい雰囲気に変わってしまうのです。子ども達の純真な心洗われるような透明な歌声、劇団特有の振りを交えて元気に歌っている姿は神々しくもあり、いつも見馴れている子ども達とは思えない程の輝きを見せてくれたのです。
子ども達がいるだけで癒される不思議な力、そんな子ども達に毎日囲まれている私はつくづく幸せ者だと、いつになく荘厳な清々しさを味わったひとときでした。

2010 劇団通信10月号

先日電車に乗って立っていた時、私の前に座ってた人が降りるために立ち上がっていきました。当然私は自分が座れると思って網棚に置いたかばんをとっている間に、その横に座ってた四十前後のおばさんがすかさずお尻をずらして私の前の席に割り込み、自分が座ってたところに若い娘を座らせてしまいました。あっという間の出来事! ルール違反だ!と言いたかったけど、私が負けたのだと認めざるを得ませんでした。何事もなかったような顔をして話しているその母娘の浅ましい姿を見て情けなくなってしまいました。親が親なら娘も娘、平気で車内で化粧している愚かな女たち同様、自分の行為がみっともないと気がつかない人間失格者、いくら着飾っていても中味が伴っていないことを公の場で露呈しているのです。
又、お年寄りや身体の不自由な方に席を譲るということ、たまに見かけることはあってもほとんどが無関心、いや無関心を装って知らん顔しています。私は年令的には優先席に座われる資格があると時々思うことはありますが、それでもつい遠慮して遠ざかってしまいます。ところが優先席という存在すら知らないのかのうのうと座ってぺちゃくちゃしゃべっている女子学生たちを見るとけっ飛ばしたくなります。家庭でも学校でも教えていないのでしょうか。学力優先の今の教育の在り方を嘆きながら、ふと中吊りの車内マナーの川柳を見て途端に心がなごみ、一人ニヤニヤしてしまいます。

2010 劇団通信9月号

言葉というのは不思議なもので、発する言葉によって表情も変化します。同じ5文字の「ありがとう」と「ばかやろう」を比べてみても、「ありがとう」という時は柔らかな笑みを称える表情になりますが、「ばかやろう」は怒った時や相手を威嚇する時の表情になります。つまり言葉の持つ意味にぴったりの表現や表情に自然となっているということでしょうか。これを逆に「ありがとう」と言いながら「ばかやろう」という怒った表情でやってみてください。あるいは「ありがとう」の柔らかな笑みを称えた表情で「ばかやろう」と言ってみてください。ぎこちないどころか日常自然に出てくる表情では全くできないことがわかります。「きれい」「きたない」も同様です。私たちが日頃使っている言葉はただ単に言葉を発するだけでなく、それなりの感情を伴ってしゃべっていることに気が付きます。
言葉は私たちの身体にも密接に関わっています。激しい感情は身体に悪影響を与え、病に繋がることはよく知られていますが、良い言葉を発すれば体内も浄化され健康が維持されるのです。「ばかやろう」と思っても感情を切り換え「ありがとう」と言えばいいのです。口から発するたったの5文字、悪い言葉によって人が傷つき、人間関係も悪化し、その結果自分の身体が蝕まれるとすれば即改めた方が賢明な生き方ではないでしょうか。出来る限り明るい感謝に満ちた言葉を使うように心がけたいものです。

2010 劇団通信8月号

人の欠点や失敗を大げさに指摘して喜んでいる人をよく見かけますが、人を悪しざまにののしって自分の方が優位に立ったつもりでいるのでしょうか。そのような人こそ自分がどうしようもない欠点を持っていることを知らなければなりません。確かに人をこき下ろす快感はあるかもしれませんが、自分勝手な言動で他人を傷つけていることに気がつかない愚かな人なのです。ライバル意識を持つことは必要ですが、それはスポーツでも芸術でもそのジャンルの中での競争意識であって、日常生活の中に取り込んで敵対視することでは決してありません。
中傷や誹謗は何らの効果も発揮しないどころか、その人の人間性までも落とし、回りの者まで誰も相手にしなくなってしまう逆効果を生んでしまいます。人をこき下ろすことで一時的には優位に立ったような現象が現れることもありますが、それはほんのわずかの間のことで、長い人生の尺度で考えると必ず精算されていきます。生きていることは自分との闘いです。他人に左右されるものではなく自らを高めていくこと、そのための努力や忍耐、そして相手の立場になって考える心の広さなど、あらゆる体験を通して培っていくものだと思います。
人の欠点を暴きののしることは簡単ですが、他人を思い遣って許してあげることが最も難しいことでもあるのです。「許す」ことが人生において最も大切な愛の表現であるとキリストは言っています。

2010 劇団通信5月号

人との出会いの不思議さ、その人に出会えなかったら全く別の人生を歩んでいたかもしれない、そう思うと毎日出会う人々との繋がりを大切にし、例え通りすがりのような一瞬の出会いであっても誠心誠意接していかなければならないと思います。地球上の六十八億人という人口の中で出会えるほんの僅かの人達との交流によって私達の日々の生活は営まれています。児童劇団をやっていなかったら出会えていなかった人達、今の私の繋がりはほとんどが劇団を通して出会えた人達であるだけに、もし劇団がなかったらと考えると尚更こうして出会えた偶然の不思議さに感謝せずにはいられません。
父母会の方々とも終生忘れ得ぬお付き合いが出来るようになればとも思いますが、さりげなく通過していく人や、一度も声をかけずに終わってしまう人、或いはこちらが呼び掛けたことで思わぬ発見と又進展があったりすることもありますが、例え出会えたきっかけがあっても交流が出来る人とそこまでいかない人があり、その差は何だろうと思ってしまうことがあります。
先日も新百合のお母さんから日本文学館の書籍「ガンだって。ひまわり母さんバンザイ!」を渡されましたが、それはご自身がお書きなった本でした。軽妙なタッチで綴られた本の内容に感心し、脚本執筆でもお願いしてみようかと思った程で贈呈本という形で働きかけて頂いたきっかけで、この先の進展が楽しくなってきました。

2010 劇団通信3月号

数々の感動を与えてくれたバンクーバーオリンピック。勝敗を左右するのは正に選手の精神状態にかかっていることを実感します。実力を持ちながらもちょっとしたミスや思わぬアクシデントに見舞われあっさり敗退してしまう選手をたくさん見てきました。オリンピックという大舞台では平常心を保てるだけの余裕をもって臨むことなどほとんど無理だと思います。日本中の期待を背負って登場したフィギュアスケートの浅田真央はフリーの演技に入る前からこれまでに見たこともないような緊張が極度に達した顔をテレビの画面は捉えていました。こんな余裕のない雰囲気で果たして大丈夫かと誰もが心配するような顔つきでした。
ミスがなければ金メダルをとっていたかもしれない浅田の実力は私たち素人が見ても韓国のキム・ヨナ選手をはるかに上回っていると思いました。しかし実力と精神のコントロールで戦っていくオリンピックの頂点はリンクに上がる前に既に決まっていたかのような結果になってしまいました。コーチや回りのスタッフが勝つための技術的トレーニングに終始してメンタル面での訓練まで行き届かなかったのではないかと思われてなりません。
オリンピックは祭典でもあり、開会式や他の選手を応援するなどの精神的余裕を持たせることも必要ではなかったのかと思います。
緊張の中でも実力を発揮できるよう訓練することはミュージカルの舞台でも同様なのです。

2010 劇団通信2月号

昨年からほとんど休めない日が続いていたためか、一月中旬に行った札幌と福岡のオーディションから帰って来たとたん、ついにダウンしてしまいました。これまでに経験したことのない筋肉の激痛に襲われ医者の診断では体力の衰退によって出てきた神経痛ということで私も納得しました。これまで風邪以外には冒されたことのない身体で、自分はまだまだいける!と高をくくっていた面もあり一つの警告として素直に受け止めることにしました。確かに時には休養も必要だし走り続けてばかりいたらおかしくなるのは当然です。分かってはいても気持はいつも追われています。幸いスタッフの好意で一週間休養をとるようにとスケジュールを調整してくれましたが、それでもその内の二日はオーディションがあり出かけていきました。家にいても原稿やメールの返信が気になり本当の意味での休養にはなっていませんが、心の中では「休養なんて生ぬるいこと考えるな、働け、働け!」と急きたててくるのです。貧乏性故の性でしょうか。ゆっくり休めるのは棺桶に入ってからだと強気のぼやきで自身を慰めております。
それにしても一人前に育ってくれた娘たちが「お父さん、ゆっくり休まなきゃダメよ!」と言ってくれているようで涙に鼻汁までしたたり落ちる始末、素直に従うべきだと言い聞かせ、若い娘たちの温情に限りない感謝をしているところです。合掌…

2010 劇団通信1月号

何事にも行き届くことの大切さを自らに常に言い聞かせてはいますが、年令のせいもあるかもしれません。隙間をするりと抜けてとんでもない失態をしてしまうことが続いています。人に、物に、事に全てに行き渡って行動することの難しさを痛感しています。
今回のアカデミー公演でも舞台スタッフの総入れ替えによって、任せてしまった安心感から当然チェックしなければならないことが疎かになり、あってはならないようなことが起きてしまった本番でのミスが幾度かありました。
プログラムにしても印刷に回す段階で一応見てはいたものの、細かいことはスタッフに任せたつもりになっていた私の失態。正月前に刷り上ってきたプログラムを見て、初めて大きなことが欠落していたことに気付きました。客演してくれた茶花さんや、作曲を担当したイギリス人のマックス・エッサさんの紹介がどこにも見当たらず、スタッフを責めてみても最終的には私が目を通したと言われれば、ハイそうですかとしょんぼりするばかり。正月では印刷をし直す訳にもいかず、茶花さんには只々あやまるばかり、取り返しのつかない失態でした。
私が本気でチラシやプログラムに関わっている時には絶対に起きなかったこのようなトラブルは、当然担当者や回りのスタッフが行き届いて作業をしていれば防ぐことが出来たはずです。スタッフの自主性を重んじるばかり私のチェックが甘くなった結果であり、大なり小なり私の中で漏れていくことが多くなったこの頃、取り巻きのフォローの強化を望まずにはいられません。
又、最近ある所で子どもミュージカルのキャスティングについて問題が起こり、劇団が一方的に決めるのではなく、父母会の様々な事情を考慮する必要があったことを教えられました。
行き届かないことがこれからもいろいろとあるかもしれませんが、問題点をご指摘いただければ素直に耳を傾けていきますので、老化現象をお許しいただきたいと思います。

2009 劇団通信12月号

BDPアカデミー公演「彼女たち」の作品はアメリカを代表する劇作家アーサー・ミラーの「るつぼ」を絡ませて作られたもので、脚本の中にマリリン・モンローのことが出てきます。というのもアーサー・ミラーはマリリン・モンローと六年間夫婦だったということがあるからです。この辺りの経緯も劇中で多少触れていますが、残念なことに時間の関係でこの部分はカットせざるを得なくなりました。
アーサー・ミラーと結婚する前マリリン・モンローは野球選手と結婚していましたが、ミラーのような教養高い人と結婚することによってセクシー女優から抜け出し、自分も知的な人間として夫と同等に付き合える妻になりたいと夢見ていたのです。しかし夫は彼女が大スターであり続けるためにあらゆる努力を惜しまず、献身的に尽くします。そのために夫婦のバランスが崩れ離婚、モンローは本意でないセクシー女優を更に続けることになります。
一方で精神分析医のもとに通い続け薬物にも依存します。そんな中でケネディー大統領に出会いますが、スキャンダルを恐れた政府関係者によって締め出されてします。華やかな大スターの内面は泥沼でもがき苦しんだ過酷な試練の連続でした。
そのモンローの語録に、
「人は愛されたいとは思うが、愛したいと思う者はほとんどいない」
「演技には悩みが必要だ。悩みがない者の演技なんてあり得ない」
衝撃が走りました。

2009 劇団通信11月号

劇団事務局の職員でもありBDPカンパニーの劇団員櫻井みずきが十月十一日彼女の誕生日に結婚しました。彼女は小学校の四年生の時に児童劇団「大きな夢」に入団、それ以来ずーっと私のもとでミュージカルに携わってきました。そして今もなお劇団で八面六臂の活躍をしている彼女、子ども達からも慕われ、同僚からも愛されている心優しい女性です。その同僚達の中でも一番若い彼女が先陣を切って結婚することに対して、多少のやっかみが?あるかもしれませんが、児童劇団からずっと在籍している劇団員の結婚は初めてのことで、これほどおめでたいことはありません。
とても素敵な式と披露宴に参列させて頂きましたが、花嫁姿に身を包んだ彼女は本当に幸せそうでした。我が娘の結婚式に臨んでいるようで感無量でした。劇団一筋に歩んできた彼女は結婚してからもそのまま劇団を続けるそうで、新郎の健一さんの理解があればこそと思いながら、子どもが出来て、やがてその子が劇団に入り、母親と共演出来る日があっという間に来るだろうと想像しながら一人ほくそ笑んでいます。
末長くお幸せに…。

2009 劇団通信10月号

演技テキストの「一寸法師」には「仏さま」があり、「蜘蛛の糸」には「お釈迦様」が出てきます。
この二つの言葉の意味が子ども達には分かっていません。仏さまに対しては何となく漠然としたイメージを持っているようですが、言葉では説明できず、お釈迦さまに至っては何?それ、ということになります。
しかし歴史上の釈迦と「蜘蛛の糸」に登場するお釈迦様は違うので、それを説明するとなると仏教のことから宗教論にまで発展するため、気が遠くなりそうで途中で濁してしまいます。更に地獄と極楽の意味も分からない子に、生きている時良い行いをした人は死んでからは極楽に行き、悪いことばかりしていた者は地獄で苦しみながら生きていくんだと説明しいるうちに、ふと自分でも分からなくなります。一旦死んだ者があの世で又生きていくこと事態おかしいのではと思ったりすると先に進めません。 
天国も極楽も地獄も、幸せも不幸もみんな自分の心が創り出したものだなんて話し始めると、もう劇団のレッスンどころではなくなるので、少しは考えてくれるのかな?という程度に収めてしまいます。子ども達と向き合う度に学習させられる日々です。

2009 劇団通信9月号

姉妹で「子どもミュージカル」に所属している劇団員が各地で見られます。お姉ちゃんがやっているのを幼い頃から見ていて、歌もセリフも覚え、自分も劇団に入れてもらえるチャンスを今か今かと待ち望んでいた末、やっと入れてもらえたようなケースが多いのです。このような家庭はもうミュージカル一色の日常ではないかと微笑ましく思います。
 姉妹でやっている場合、お姉ちゃんを追い越す勢いでどんどん上達する子もいるし、いつまでもひっそりとお姉ちゃんの影にくっついている子もいて様々ですが、今年札幌の公演でナナをやった子は、私の印象では後者のひっそり型だとずーっと思っていました。 しかし稽古中からものすごい勢いで突っ走ってるではありませんか。いつの間にかこんなに成長したのかと、嬉しさを通り越して驚きの連続でした。お姉ちゃんがしっかりフォローしていたかもしれないし、定かではありませんが、このようなケースはとても良い効果を生み出しています。 先日も三才になった女の子から早く劇団に入りたいと言われ、おじいちやんとしては只々目を細めて頭をなでてあげました。

2009 劇団通信8月号

ある女子中学生と個人的に話す機会がありました。その子はもう何年も子どもミュージカルにいて存在感もあり主要な役もやっていたので、ある程度彼女のことは知っているつもりでいました。しかし、いろいろ話してみると全く知らなかった様々な背景が浮かび上がり、置かれた家庭環境や学校でのいじめの実態など衝撃的な状況を知ることになりました。しかし淡々と話してくれてい姿には悪びれたり、卑屈になったり、人を攻撃したりするところは
微塵もなく、むしろ自分の対応次第で周囲も一変するというような明るさで乗り切ろうという強さを感じ、深刻な話をしている割にはすきっとした気持ちで話を聞くことができました。
 この子が自分でも感じているように人と目が合った時の目つきが、生意気にとられたり、不快感を与えてしまい、それがいじめにも結びついているということです。昔の私も多分にそのような印象を人に与えていました。しかし目つきだけで判断されても困りますが、目は人間の重要な窓口です。演技のレッスンによって、印象を良くする目つきや表情の豊かさを習得してほしいと思いました。

2009 劇団通信7月号

六月の西船橋の通常レッスンで演技テキストにある「一寸法師」の朗読を何人かにしてもらい、それを聴いた子どもたちに良かったところを指摘してもらいました。私の感想はほとんどがダメ出し状態でしたが、子どもたちは我も我もと手を上げて長所を見つけ出して褒めていました。
 なるほど捜せば一杯あるし、表現の仕方ひとつで欠点も影をひそめてしまうことを子どもたちから学ばせてもらいました。
「ピエロ人形の詩」にもあるように〝そっちから見れば汚く見えても、こっちから見ればなんて美しい〟ということなのです。対人関係がぎくしゃくしていても見方を変えて相手の美点を認めるようにすれば、きっとうまくいくはずなのです。
 「大きな夢」の劇団員は山崎陽子先生の素晴らしい戯曲によってたくさんのことを学び、それらの教訓がいつのまにか普段着のようにフィットしていたのです。このような子どもたちがいる限り将来の日本も捨てたものじゃないと、日ごろ混沌とした社会を嘆いている老人としては一条の光を見出したようなさわやかな気持ちになりました。

2009 劇団通信6月号

「初台子どもミュージカル」が今年公演する青山円形劇場は、会場の真ん中に円形の舞台があるだけで、周りの360度が客席です。緞帳や袖幕など何もなく、その何もない舞台で子どもたちは演じることになります。 
舞台セットも飾れないので、せめて舞台の床面だけでも何色かで色づけしてみようかなと、ある日の稽古中に私はつぶやきました。思っていることをほんの少しだけ口にした程度でした。 何日かして初台の女の子から私宛にラブレターかなと思ったほど可愛い封筒の手紙がきました。中に入っていたのは青山円形劇場の舞台を色づけした図面でした。いろんな色を四色組み合わせたものが四類も入っていました。しかもそれぞれの色に関して説明までしてあるのです。
 
この小6の女の子はドイツに行ってしまうために公演に出られないので、このような形で協力してくれたのです。思いもよらなかったことだけに涙がでる程感動し、彼女の色を舞台に実現したいと思いました。久しぶりに清らかなうれしい気持ちになりました。