2016年8月29日月曜日

2016 劇団通信9月号

公演ラッシュが続いている夏休みは、劇団にとっても私個人にとっても最も忙しい時期である。

各地の子ども達が創り上げた舞台の成果を見るのがとても楽しみでもあるが、往々にして素直に楽しめないもどかしさを感じることの方が多く、胃の痛む思いが続いている。

勿論一人一人の子ども達の成長には目を見張るものがあり、一年を経て更に成長した姿を見ると「大きな夢」のミュージカル活動の原点に迫るようで、子ども達の重要な教育環境のような気がして嬉しくなってくる。

しかし私の胃が痛む思いは舞台で演じている個々の力が中途半端な形でしか表出されていないように受け取れることであって、もっと子ども達の個性を活かした指導が出来ないものかというジレンマである。

我が劇団では作品創りの全責任を演出担当者が担うシステムになっている。つまりこれまで私が長いことやってきた演出作品を、私の手を離れて各担当者に委譲する形をとっていることであり、当然私がやっていたことと異なる表出の仕方があってもいいが、全体の形をまとめることに時間がかかり、出演する子ども達の個性を引き出すような余裕がなくなっている現状に対してのジレンマである。

ミュージカルはどうしても歌や振付に時間を要するために、演技の面での突っ込みが足りなくなってくる。一番肝心なキャラクター作りが疎かになり、ただセリフを言っているだけのような存在感の薄いものになりがちである。

これは何も我が劇団のことだけではなく、日本のミュージカル界全般に渡って言えることでもあり、諦めてはいけないと思いつつも妥協の度合いが益々高くなっていく現状の組織のあり方を変えない限り、私の胃の痛みが和らぐことはないかもしれない。




2016 劇団通信8月号

運命の分かれ道とでも言おうか、さりげなく発した言葉によって自らの運命が大きく変わっていったことを考えると、その時発した言葉が予め用意されていたかのような神秘性を感じる。

劇団四季にいた時、言葉そのものは軽くも重くもないほんの一言を発したことが原因で、急転直下劇団を辞めることになった。今思えば退団しなければならない程の重大事でもなかったが、その時のあまりにも理不尽な対応に我慢できず、翌日には抗議の手紙を書いて自ら身を引いてしまった。

このあたりのことは拙書「青砥洋と児童劇団大きな夢」に詳しく書いてあるが、50歳近くになってオーディションを受け、折角入ったのに辞めるのは勿体ないというようなことを周りからもよく言われたが、四季を辞めたからこそ今の環境が与えられたのであり、あの一言がなかったら現在の児童劇団「大きな夢」は存在していなかったということになる。

しかも今住んでいる向陽台という場所で、タイミングよく新しく文化センターが出来たのも偶然とは思えない繫がりを感じている。私の知らない内に着々と準備されていたような、全てが現在に至るための道程だったと思うと、自然の流れの不思議さ有り難さに感謝せずにはいられない。
 
又、つい最近のことだがスマホの電話で相手先を間違って押してしまったのがきっかけで、思わぬ展開が生まれたことも不思議な出来事の一つであり、偶然だと思えることも実はそうでないという哲学的な考えもあるが、宝くじが当たったような幸運を、素直に享受して進んで行きたいと思っている。

どこで、いつ、どのようなことがあろうと、何があっても現在の自分に繋がってきた結果だと思えば、自然と感謝の気持ちが湧いてくるものである。