2013年11月4日月曜日

2013 劇団通信11月号

先日劇団員同士の結婚式に呼ばれたので「結婚」ということについて改めて考えてみました。
愛し合う若者の姿は清々しく又、溌剌と輝いて見えますが、結婚相手は好きだからという思いで一気に決めてしまうケースが多いようです。しかし少し年齢を重ねて分別がついてくるようになると、特に女性の場合は「好き」とか「素敵」といった感情よりも、相手の収入や職業、学歴、地位といった外側の条件で決める場合が多くあるようです。どちらがいいのか人それぞれで一概には言えませんが、いずれにしても結婚したら二人の人生が大きく変わることは間違いありません。
 
最初はお互いに新鮮で幸せだと思っていても年月を経ると逆の状況に陥って悩み、どうしてこんな人と結婚したのかと後悔している人の何と多いことでしょう。又、経済的には何一つ不自由することなく暮らしていても心が満たされないで悶々としている人もたくさんいます。
しかし大概の人はそこで辛抱し、結婚当初の「あばた」が笑窪には絶対に戻らないことは分かっていても気持ちを切り変えてこの「難関」を乗り越えていきます。しかしそんな辛い時期もいつまでも続く訳ではありません。子どもが大きくなれば家族のあり方も変化してくるし、夫も妻も人生の荒波によって鍛えられたお陰で互いに理解するようになっていきます。何事も成就するには忍耐と努力が欠かせないように、乗り越えたその先には思いもよらない至福の時が待っていることを信じるべきです。
夫婦生活も人生行路と同じでなかなか思うようにはいかないものです、ね。

2013年10月5日土曜日

2013 劇団通信10月号

2020年の東京オリンピックが決まってから「おもてなし」という言葉がクローズアップされてきました。普段何気なく使っている言葉でも辞書にはどのように出ているのか広辞苑を開いてみたけど載っていません。なぜ ? そうか、「もてなし」に「お」がついた丁寧語だったと「もてなし」を引いたら「とりなし」「振る舞い」「取り扱い」「待遇」「挙動」などが出てきました。

「おもてなし」とは何となく響きが違うので語源を調べたら「モノを持って成し遂げる」というのと、もう一つ「表裏なし」という二つの意味があることが分かりました。後者の表裏なしというのはあらゆる商売、特にサービス業では「表裏のない心で客を迎える」というのが接客の基本であって「おもてなし」に徹することが勝負の鍵と捉えているようです。

つまり何事も相手の立場に立って誠意をもって対応するという人間の生き方の基本のようなものであって、オリンピックによって海外から来た人達に「おもてなし」の心で歓迎しようとする機運が盛り上がるのは素晴らしいことです。しかし国内外を問わず毎日悲惨な事件や事故が後を絶たない現況、オリンピック開催決定をきっかけに日本から「おもてなし」の心を発信していくのはとても意義深いことだと思います。

そのためにも私たちは「おもてなし」の心を忘れず果敢に実行していかなければなりません。日本人特有の「思いやり」や「徳」といった優雅さは「おもてなし」の心の積み重ねによって醸成されていくものだと思っています。

2013年9月7日土曜日

2013 劇団通信9月号

 電車の中でのこと、90歳くらいのお年寄りの男性がしっかりと吊り革につかまって立っていました。誰か席を譲ってあげる人はいないかな?と見ていると50代くらいのしっかりした男性がすっと立ち上がってさりげなく「どうぞ」と声をかけました。するとそのお年寄りは丁寧すぎるくらいに深くおじぎをしてホッとしたように席に座りました。しかし譲った方の男性はそのおじぎを見ることもなく少し離れたところへ移動し背を向けて立っていました。

おじぎをするかしないかは別としてこのような光景は電車の中ではよくあることですが、席を譲るのにはある程度の勇気がいります。この男性のように自分がしたことになんとなく照れを感じる場合は目を合わせることもなく何もなかったかのように振舞うのです。女性同士の場合は笑顔で軽く会釈しあったり会話で感謝の意を表したりしますが、男性はちょっと違うようです。自分の行為に対して周りがどのように思うか、あいつカッコつけやがってと思われやしないかなど周りの視線を意識しすぎる傾向にあるようです。男社会では絶えず他人に気を配り自分だけが突出するのを抑えながら仕事しているからなのでしょうか、平常心とちょっとだけ離れた心の動きを感じるものです。

 人に親切にすることが当たり前のように出来るようになるには、それなりの訓練が必要です。訓練とはレッスンと同じように繰り返しやることです。良い行いを繰り返しやっているうちに自分自身が豊かになっていることに気がつくでしょう。

2013年8月8日木曜日

2013 劇団通信8月号

 子どもたちの輝きを見ているとそれだけで心が洗われます。かつての自分にもそんな時があったのかと思いをめぐらせてみますが、幼少の頃の思い出は夢中で遊んだり泳いだり映画を見たりする断片的な行動の記憶しかなく、何を考えていたのか、どんな心の状態だったのか思い出そうにも全く浮かんできません。おそらく退屈したことなんてなかったような子ども時代はあらゆることに興味を持って楽しく遊びながら生きていたのでしょう。今思えばそれが輝いているということであり子ども特有の素晴らしさなのです。子どもたちの闊達な姿はただそれだけで宝物のような光を放ち私の心を癒してくれるのです。

 たくさんの劇団の子どもたちを見ているとミュージカルを通して出会えた友人関係が掛け替えのない宝物になっているような気がします。友達と一緒にやっている楽しさがミュージカルへの興味を高め演じることに意欲的になっていくのだろうと思います。何事もそこに存在する人間関係によって自身の立場を確認するもので、その環境によって積極的に打ち込めるか否かの大きな分かれ道に立たされることになるのです。友達によって子どもたちの将来も変わってくることが往々にしてあり、それだけに学校でも劇団でもどんな友達に出会えるかが運命の鍵を握る大切なポイントになるかもしれません。子どもに限らず大人の社会でも人との出会いによって大きな変化をもたらす人間関係、波長の合う人が寄り集まってくることを考えると自身を高めるための修練が何より大切なのではないかと思います。

2013年7月9日火曜日

2013 劇団通信7月号

 他人の喜びを自分のことのように喜べる人を見ると心から尊敬してしまいます。
多くの人の場合どこかでやっかんだり否定したり自分たちには幸運が回ってこないことを正当化するような言動に出くわすことがあります。ひどくなると他人の出世や昇格を祝福するどころか冷たい態度でひがんだり羨んだり、陰口をたたき果てはネットでありもしないことを書きたて批難中傷したりするような例は後を絶ちません。特に演劇界や芸能界のライバル関係にある役者たちのキャスティングに対する戦いはすさまじく、嫉妬心を募らせて相手を引き摺り下ろそうと企んだりします。

 このような嫉妬心やひがみは人間として本来誰もが持っている心の動きでしょうが、過度にならず適度に作用すれば競争心や向上心を燃え上がらせスキルアップにも繋がっていきます。しかし度が過ぎるとそのような感情は更なる妄想を掻き立て収拾がつかなくなるほど肥大化していきます。そして人を傷つけ信頼を失い、自分も悩み落ち込んで泥沼の中でもがき苦しむことになってしまいます。難しいことですが何事にも心を大きくして人の喜びを我がことのように思えるようになれば、人生はもっと楽しく輝いたものになるに違いありません。
 

 残念ながら私も71年も生きてきたのに未だに心大きく寛大になれない自分に時々嫌気が差してしまいます。判断を迫られる時でも白か黒かでない中間の色があることを忘れて後悔すること度々です。人生の修行は若い時よりも一層厳しく課せられているように思います。

2013 劇団通信6月号


小学生から中学生になったとたん劇団の子どもたちは部活との両立に悩まされています。ほとんどの公立の中学校で部活を強制しているらしいことを聞くと現行の柔軟性のない教育制度に憤りを覚えてしまいます。しかもそれが進学の内申書にも影響するというに及んでは、開いた口が塞がりません。
私は何も部活を否定している訳ではありませんが、部活以上に学外で活動している子に対して一律に部活を強制するようなことはやるべきではないのです。学校の授業が終わってすぐに帰宅して目的もなしにぶらぶらしているような子には部活の勧めも必要ですが、「子どもミュージカル」のように学校では体験できない立派な創作活動に携わっている子たちには部活は必要ないのです。
 
中学生時代に何かに対して夢中になり、それが将来の道に繋がりかねない大切な時期でもあるので、学外活動も含めて学校側は慎重に対応しなければならない筈です。ミュージカルを続けたいのに部活に入ってしまい、身動きが取れなくなって劇団を辞めてしまう子が何と多いことでしょう。一週間に一度の劇団のレッスンであっても部活を途中で抜け出せば友達や先生との人間関係が悪くなるという弊害?に悩まされ、これから伸びようとする折角の才能も花開かないままで終わってしまうことにもなりかねません。

劇団の子どもたちは吹奏楽部に入るのが多いようですが、公立の中学でもあるのに何十万円もする楽器を買わされるという話を聞くと、校長や顧問はリベートで小遣い稼ぎをしているのかと疑いたくなります。教育委員会は知らん顔ですかね。

2013年6月28日金曜日

2013 劇団通信4月号

続けていくことの大切さ、難しさを日頃から嫌という程思い知らされていますが、先日上演した「ひとりミュージカル」の稽古に入ってみて、若い頃から積み重ねてきた役者としての最低の訓練の継続がなされていなかった自身の甘さにひどいショックを受けてしまいました。
児童劇団を立ち上げた20年前、自分では役者から足を洗ったつもりでいたので特別な日頃の訓練もしないまま過ごしてきたツケが今になって回ってきたのです。18年前の初演に比べると滑舌も衰え、すっかり口が回らなくなってしまっていたことにいたたまれない思いが込み上げてきました。
年齢のせいでもなく只々自分の愚かさに無性に腹立たしくなり、取り戻すことのできない年月が貴重な宝物を失ったように思われてしまいました。
現役であろうがなかろうが若い頃から積み重ねてきたしゃべりに対するこだわりが脆くも崩れ去った苛立ち、後悔の念に苛まれ私の生きざまを根本から否定されたような気にもなってしまいました。しかしそんなことにくじけていては本番を迎えられない! 昔の感覚を少しでも取り戻せるように出来る限りの努力してみようと気持ちを切り替え、毎日一つでも進展するようにこつこつと稽古を重ねていきました。
無謀なひとり芝居も終わってしまった今、反省することは山ほどあっても、前向きに取り組んだことで自身の中での高揚感と更なる向上心が出てきたことは不思議な現象と言わざるをえません。何とも言えない本番寸前の緊張感が更に追い打ちをかけるように昔を甦えさせるのです。