2015年4月13日月曜日

2015 劇団通信4月号

劇団の上演作品の一つ「魔女バンバ」の稽古をする度に思うことは「笑う」ということが如何に大切であるかということです。主題歌の歌詞には
「さあ、一緒に笑いましょう。笑えば心が明るくなる。笑えば希望が生まれてくる」とあります。


笑うということはマイナス面を消し去る力を与えてくれます。しかし憂鬱な時とか思い悩んでいる時にはなかなか笑えません。でも、そのような時にこそ敢えて笑ってみましょう。演技だと思って声を出して笑顔を作って笑ってみましょう。その内にだんだん楽しくなって心も弾んできます。


小さな悩みごとなら簡単に飛んで行ってしまいます。大きな悩みでも「くよくよしたって仕方がない」という気持ちになり心に余裕が出てきて、これまで考えられなかった新たな解決法が見つかるかもしれません。思い悩んで憂鬱になって悶々としたって解決の糸口は見つかりません。心を切り替えて一切を解き放った時に思いもよらぬ新たな展開が広がってくるものです。


心を切り替える一番の効果は「笑う」ということです。「魔女バンバ」は光と闇の対決を描いていて、闇を支配しているバンバに明るさの象徴ポポロが立ち向かいます。しかし世の中は人々の心が荒み闇と思われる出来事が蔓延しているためにポポロの力も衰えて風前の灯火になっています。勢いを増したバンバの力によって闇がどんどん社会を覆い尽くしていきます。闇というのは光の欠乏状態に過ぎません。一本の小さなろうそくでもあればその周辺の闇は消えてしまうのです。


ポポロは子ども達の明るさに助けられ、本来の力を取り戻していきます。子ども達と一緒に笑うことによって魔女のバンバは自然に消滅していくのです。









2015年4月7日火曜日

2015 劇団通信3月号

児童劇団「大きな夢」を立ち上げたのは今から21年半前です。
私が51歳の時ですから今年の誕生日でもう73歳になってしまいます。
最初は稲城で10人ほどでスタートしたのが少しずつ各地に広がり今では500人の規模になっています。一人一人の子ども達に会って親しくレッスンしていきたい気持ちがあっても23ヶ所を定期的に満遍なく回る事は不可能に近いことです。公演間際になれば無理してでも行けるようにスケジュールも組んでもらっていますが、それでも全体の通し稽古やゲネプロを見るのが精一杯で直接子ども達と触れ合うといった時間が取れないのが現状です。


しかし以前はそれでも何とかやりくりして出来ていたものが、最近は自分の体力を慮ってか疲れが溜まらないようにいつの間にかセーブしている事に気がつきました。本来子ども達と触れ合いたくて始めた児童劇団なのに自分で予防線を張ってしまっていたのです。年齢を重ねるにつれて横着をしようという思いが強くなっていたのかもしれません。
危ないあぶない !  生命が燃え尽きるまで「大きな夢」の子ども達と触れ合っていたい、子ども達にとっては迷惑かもしれないがそれが私の生きる道だと豪語していたではないか ! 

今年に入って私は出来る限り出かけて行こうと一念発起、実行に移しました。毎日どこかの「子どもミュージカル」に顔を出していますが、しばらく見なかった子ども達の成長の早さに驚き目を細めるばかり。
こうして日々新鮮な気持ちで子ども達に接する喜びは私に一層の活力をもたらしてくれる最大の健康法にもなっています。



2015年2月26日木曜日

2015 劇団通信1月号

「何事にも行き届く」ということはとてもむずかしいことですが人間社会にあって一番肝心なことです。企業でも組織でも商売でも基本的な姿勢であり、これを怠ると衰退の一途を辿ることになります。人に、事に、物に、全てに行き届く姿勢をもって生きていけるか、簡単に出来ることではありませんが、そのための努力、修行を積まなければ到達出来ない深いものなのです。


若い人達を見ていると何故もっと相手の立場に立って物が言えないのか、虚栄心なのか自信過剰なのか、謙虚さが足りないなどと年寄りは思ったりします。若さというのは未熟です。それだけに勢いもあり失敗もありますが、それを肥料にして成熟した実をつけるかどうかは、本人の生き方、努力にかかっています。行き届いているつもりでも抜け落ちる事は誰にもあります。


抜け落ちた所をそうでないように取り繕ったり、抜け落ちたところを正当化することなど夫々の人柄や性格にもよりますが、自分を良く見せたいという思いが強く出過ぎると顰蹙を買い信用を失ってしまいます。良く見せたいと努力するより謙虚に自分の行いを反省し素直な心で生きていく事の方が尊いのです。しかし謙虚になったつもりでも卑屈になり過ぎて「すみません」を連発しても決していい結果は生まれません。要は常に向上心を持って自らに問いかけ、あらゆることに気を配り行き届く訓練を繰り返ししていくことが大切です。
終了する事もない人生の修行のひとつひとつが積み重なって人格を形成していく事を忘れてはなりません。





2014年11月27日木曜日

2014 劇団通信12月号

昭和の全盛期から平成にかけて大活躍した俳優の森繁久彌さんの有名な話があります。

ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の九州公演の時、開演したばかりなのに客席の最前列にいた少女が頭を垂れて居眠りをしている。演じている森繁さんや出演者にとっては気になるし面白くない。

起こせ、起こせ、とその少女のそばで演技する時はわざと床を音高く踏み鳴らしたりした。けれどついに目を覚まさなかった。そしてカーテンコールになって幕が上がった時少女は初めて顔を上げた。両目が閉じられていた。

居眠りと見えたのは、盲目の人が全神経を集中し芝居を心眼に映そうとする姿であった ! 
それを知った森繁さんは自分の心ない仕打ちを恥じ、なぜあんなバカなことをしてしまったのかと舞台の上で泣いたということです。
このようなシチュエーションに出くわすことは私たちの劇団でもあることです。客席の最前列というのは舞台の上から一番目に付くところで、お客様の反応も手に取るように分かる位置なのです。

目の前で寝ていられるのはとても気になりますが、物を食べたりヒソヒソと話したりされると言語道断、怒りも混じって演技に集中できなくなることもあります。

又「子どもミュージカル」の公演で時々見かけるのは、親しい友達が来て最前列で指差して笑ったりしている劇団の子ども達です。観劇マナーが徹底していないもどかしさを感じますが、劇団員は最前列で観ないようにと指導するしか方法がないのは残念なことです。

すべてマナーの基本は相手の立場に立って考えるということで、特に観劇マナーが悪い子は舞台に立つ資格がないと言わなければなりません。






2014 劇団通信11月号

子ども達よ、学生たちよ。親に感謝したことがあるか。
両親の愛によってこの世に生を受けここまで育って来たことに感謝したことがあるか。

今の君たちがあるのはどんな時にも我が子のためを思って精一杯の愛情を込めて育ててくれた親がいたからだということを忘れてはならない。

自分で勝手に大きくなったと思うな。親の言うことを聞かず、いちいち反発して一人前に反抗期があって当然だなんて思うな。親のありがたさが分からなければ、どんなに学校の成績が良くても人間として失格だ。勉強、勉強だけで大切な時間を潰すな ! 親の手伝いを積極的にやれ。部屋の掃除もやれ。食事の後片付けを手伝え。玄関先で脱ぎっぱなしになっている靴があれば揃えることぐらい出来るだろう。トイレの掃除もやってみたらどうだ。人が嫌がってやらないようなことを率先してやるのだ。人間として最低限のことをやらないで社会に出て何ができる ?  学生時代はあらゆることを学び、訓練し、自らを高めるためにあるのだ。

楽をするな。辛いことと楽なことがあれば敢えて辛いことを選べる人間になれ。訓練期間は徹底して自らを鍛え向上させるためにあるからだ。若いうちは学べ、あらゆることを体験し向上するために苦労するのだ。

挫折も味わえ。少々のことでくたばるな。全ては自らを高めるための試練の場なのだ。だからと言って悲惨になってはいけない。困難に戯れればいい。

決して暗くなるな。明るく生きるのだ。笑顔で人に接し、嫌なことがあっても許せる心の大きさを養うのだ。欠点を見ないで美点を認め誉め称えるのだ。
君たちの未来は明るく輝くものになるだろう。







2014年10月3日金曜日

2014 劇団通信10月号

善人とは ? と時々考えます。
もちろん善人に対して悪人という言葉があるように、悪人でない人が善人でしょう。しかし人間を簡単に両者で区別して、判断することなどできるものではありません。良い行いが善で、悪い行為が悪、というのは誰でも知っていることですが、その基準も曖昧で、良い行いとそうでない行いも見方によって大きく異なります。

必要悪という言葉があるように、善を実行するためには、ある程度の悪と見えることも見逃さなければならない場合もあります。法を侵すことは良くありませんが、法がネックになって人の命を救えなかったとすれば、善悪の判断も変わってきます。
 
一般に善人と言われるような人は正義感が強く、正直で真面目、曲がったことが嫌い、人に対して文句を言ったり怒ったりしないでいつも優しく微笑んでいる。例え頭にくることがあっても、表に出さないで心の中に収めてしまう(癌になりそう ! )。そんな人が本当にいるの ?  あり得ない ! と思ってしまいます。

誰でも自分に対して良いことをした人は善人だと思い、逆の言動があれば悪人呼ばわりしかねません。完全無欠な人って存在しないように、善も悪も入り交じっているのが世の中です。だからこそ、他人の言動に惑わされない強い信念を持って、生きていかなければなりません。

長い間悪いことばかりやってきた人が、更正して少しでも良い行いをすれば凄いことをしたように誉め称えられ、普段多くの人達から尊敬され社会的にも大きく貢献しているような人が、取るに足らないスピード違反的なミスや、軽い法に触れるようなことをしたとすれば、立ち所に糾弾され過去の人生まで否定される。そんなおかしな社会の中で私たちは生きています。





2014年9月9日火曜日

2014 劇団通信9月号

子どもミュージカルをやっていると子どもたちの才能や可能性をどのようにして引き伸ばし、将来に繋げられるように指導していくか常に思い悩むところでもあります。

ひとえに才能を伸ばすと言っても千差万別、褒めることによってやる気が出てくる子もいれば厳しくダメ出しをしないと納得してくれない子もいます。又、ダメ出しをすると自信をなくして消沈してしまう子や、逆に全くダメ出しをしなかったら見放されたと思って悩む子、叱られたこともない家庭で育ったような子もいて一筋縄ではいかないもどかしさの中で四苦八苦することが多々あります。

最近特に感じるのは子ども達がキャストオーディションに向けて最大の努力をして念願の主役を手に入れたとしても、その後の公演までの稽古期間中に本当にその子で良かったのか ? と疑いたくなる事例が沢山あるということです。

オーディションは良かったけど、一つの作品を引っ張っていけるだけの存在感や輝き、不屈の精神力など稽古をしてみなければ分からないことが次々と派生し、他方で地道にこつこつと積み上げていく子などの成長過程を見ていると、むしろその子の方が良かったのではないかと後悔することしばしばです。

日頃のレッスンに対する姿勢なども考慮し長年在籍している子にはチャンスを与えなければという私情も絡み、どこの「子どもミュージカル」においてもベストメンバーの公演にはなっていないのが現状です。しかし思い通りの役につけなくて退団する子は言語道断、じっと我慢している子の姿にこそ人間性の素晴らしさを感じてしまいます。
「大きな夢」はミュージカルを通しての人間形成にあることを思い起こさせられます。