2016年12月24日土曜日

2016 劇団通信12月号

谷川直子著「世界一ありふれた答え」(河出書房新社)を読んでいて驚いた。

ある有名なピアニストが「ジストニア」という病気にかかって指が思うように動かなくなり、音楽家としての生命を断たれてしまった。この病気にかかるのは男性で1日4時間以上練習するプロの演奏家に多く、完璧主義者である可能性が高いということらしい。

上手く弾けない箇所を何度も繰り返し練習することで症状はさらに悪化し、悪化すると隣りの指も動かせなくなり指そのものが曲がってしまう。しかし楽器から離れると元通りに指が動くことが多く、例えばこの本に出てくる男性のピアニストはピアノの鍵盤の上では弾けなくなってしまったが、ピアノの蓋(ふた)を閉めた状態でピアノに向かって指を動かすとちゃんとできるという。

そんなことが実際にあるのかと疑いたくなるような不思議な現象だが、原因として脳内の、手や指の動きに関する分野で変化が起きているということである。このピアニスト始めは練習していても違和感があっただけだが、右手の薬指が思い通りに動かなくて、いつも同じところでトチってしまう。練習不足ではないかと集中してやればやるほど薬指が動かなくなり内側に曲がってしまい、そのうち中指と小指も動かなくなってしまった。

そのことがきっかけでウツになりピアノが弾けない人生なんて生きている価値がないと死ぬことばかり考えるようになった。しかしあるきっかけで同じウツの女性と知り合い、お互いに悩みをぶつけ合い葛藤しながらも、ついにピアノは弾けなくても作曲は出来るという意識の変化によって再生するという感動の物語である。
お勧めしたい一冊でもある。




2016 劇団通信11月号

先月9月の終わりに劇団のスタッフ3人で香港に行った時、バレエスタジオを経営している日本人の女社長の話を聞いて失敗を恐れない前向きな生き方に強い衝撃を受けてしまった。

幼い頃からバレエ一筋にやってきた人だが香港に来るまでは日本で少し役者の勉強もし、上海に渡って演劇学校にも通い、香港に来てからは貸しスタジオを転々としながらも自分のバレエ教室で指導に当っていた。しかし毎回スタジオを押さえるのも簡単ではなく思い切って自分のスタジオを持とうと決意、同じ持つなら香港の一等地がいいと一般的には不可能とも思える強い夢を描き、その実現のためにはどうすればいいか、考えに考えた末に思いついたことが並の人には出来ない無謀な挑戦というべきものだった。

先ずネットで「香港で大成功した日本人」を検索し、その結果これだ !! と思う人がネット上に現れたが、その人はあまりにも大物過ぎてどのように近づいていったらいいか分からない。いろいろ試みあの手この手で何度アタックしても断られ、それでも最後は退路を断ち切られた開き直りでぶつかっていったという。

その執念が実り香港の一番の繁華街、地下鉄の駅の真上という最高の立地条件に小さいながらもスタジオを構えることが出来た。我が劇団とも共通する「青い鳥」と「夢」という標語を掲げ、3人のお子さんがいる溌剌とした30代のお母さんでもある。そしてこの人を紹介してくれた心強い方とその仲間の方達が協力し合って来年香港で子どもミュージカルの第1回公演が出来そうな雰囲気になってきた。

ちょっとしたある人との会話から思わぬ方向にトントン拍子に広がって行った不思議な展開、神の粋なお計らいに感謝せずにはいられない。





2016年10月1日土曜日

2016 劇団通信10月号

読売新聞の「編集手帳」というコラムに次のような一文があったので抜粋転載します。

『「青い山脈」や「長崎の鐘」などで知られる歌手の藤山一郎さんは少年の頃、勉強が苦手だったらしい。慶応普通部を卒業するときの成績は52人中51番だったそうだ。◆ちなみに52番が「芸術は爆発だ !」の岡本太郎さんであったという。かろうじてビリをまぬかれた藤山さんは東京音楽学校(今の東京芸術大学)に進み、こちらは首席で卒業している。◆尻を叩かれても咲かなかった花が、巡る季節には黙っていても咲く。何の分野であれ、才能とはそういうものなのだろう。』 

劇団の子ども達を見ていて才能がやがて花開くだろうと思う子がいるのに、学校の成績が良くないからとか、受験勉強第一という理由であっさり劇団を辞めさせてしまう親が多いのには愕然としてしまう。

週に一度の稽古日がそれほど勉学に影響するものなのか。劇団を休まないでも立派に受験を乗り越えて高校や大学に入った子もいるし、それよりも折角花咲く才能をもっているのに、そのつぼみを摘み取ってしまう親としての責任を感じないものなのか。

子どもがやりたいこと、好きなことへの道を進ませてやらないで、通り一遍の無難な道を選び、それが子どもの幸せだと決めつけているように思えてならない。

サラリーマン川柳で『親のゆめつぎつぎ消して子は育つ』とあるが、それがごく普通の、幸せな家庭の風景である、と新聞のコラムは言っている。
親は出来るだけ子どもには苦労させたくないと思うが、苦労はした方がいい。失敗もした方がいい。その体験が多い程人間性が豊かになり魅力も増してくる。

親自身が自らの若い頃を振り返ってみることも大切だ。


2016年8月29日月曜日

2016 劇団通信9月号

公演ラッシュが続いている夏休みは、劇団にとっても私個人にとっても最も忙しい時期である。

各地の子ども達が創り上げた舞台の成果を見るのがとても楽しみでもあるが、往々にして素直に楽しめないもどかしさを感じることの方が多く、胃の痛む思いが続いている。

勿論一人一人の子ども達の成長には目を見張るものがあり、一年を経て更に成長した姿を見ると「大きな夢」のミュージカル活動の原点に迫るようで、子ども達の重要な教育環境のような気がして嬉しくなってくる。

しかし私の胃が痛む思いは舞台で演じている個々の力が中途半端な形でしか表出されていないように受け取れることであって、もっと子ども達の個性を活かした指導が出来ないものかというジレンマである。

我が劇団では作品創りの全責任を演出担当者が担うシステムになっている。つまりこれまで私が長いことやってきた演出作品を、私の手を離れて各担当者に委譲する形をとっていることであり、当然私がやっていたことと異なる表出の仕方があってもいいが、全体の形をまとめることに時間がかかり、出演する子ども達の個性を引き出すような余裕がなくなっている現状に対してのジレンマである。

ミュージカルはどうしても歌や振付に時間を要するために、演技の面での突っ込みが足りなくなってくる。一番肝心なキャラクター作りが疎かになり、ただセリフを言っているだけのような存在感の薄いものになりがちである。

これは何も我が劇団のことだけではなく、日本のミュージカル界全般に渡って言えることでもあり、諦めてはいけないと思いつつも妥協の度合いが益々高くなっていく現状の組織のあり方を変えない限り、私の胃の痛みが和らぐことはないかもしれない。




2016 劇団通信8月号

運命の分かれ道とでも言おうか、さりげなく発した言葉によって自らの運命が大きく変わっていったことを考えると、その時発した言葉が予め用意されていたかのような神秘性を感じる。

劇団四季にいた時、言葉そのものは軽くも重くもないほんの一言を発したことが原因で、急転直下劇団を辞めることになった。今思えば退団しなければならない程の重大事でもなかったが、その時のあまりにも理不尽な対応に我慢できず、翌日には抗議の手紙を書いて自ら身を引いてしまった。

このあたりのことは拙書「青砥洋と児童劇団大きな夢」に詳しく書いてあるが、50歳近くになってオーディションを受け、折角入ったのに辞めるのは勿体ないというようなことを周りからもよく言われたが、四季を辞めたからこそ今の環境が与えられたのであり、あの一言がなかったら現在の児童劇団「大きな夢」は存在していなかったということになる。

しかも今住んでいる向陽台という場所で、タイミングよく新しく文化センターが出来たのも偶然とは思えない繫がりを感じている。私の知らない内に着々と準備されていたような、全てが現在に至るための道程だったと思うと、自然の流れの不思議さ有り難さに感謝せずにはいられない。
 
又、つい最近のことだがスマホの電話で相手先を間違って押してしまったのがきっかけで、思わぬ展開が生まれたことも不思議な出来事の一つであり、偶然だと思えることも実はそうでないという哲学的な考えもあるが、宝くじが当たったような幸運を、素直に享受して進んで行きたいと思っている。

どこで、いつ、どのようなことがあろうと、何があっても現在の自分に繋がってきた結果だと思えば、自然と感謝の気持ちが湧いてくるものである。






2016年6月29日水曜日

2016 劇団通信7月号

私は19歳の時遊園地のゴーカートに乗ったのがきっかけで車が欲しくなり、知り合いの販売店に当時カブトムシの愛称で親しまれていた「スバル360」の中古車を免許取得前に注文してしまった。以来55年間ほとんど毎日のように運転し続けている。

大きな事故もなく小さな違反は結構あったが、中でもバカらしかったのは道に迷っていた時、反対車線にお巡りがいたので道を聞こうとUターンしたところ、「ここはUターン禁止」と違反切符を切られてしまった。

その時のくやしさ ! 若い頃は運転するのが楽しくて無茶なこともよくやったが、まだ東名高速も出来ていない時でも一般道で山陰の松江まで何度も往復したこともあった。とにかく楽しかった。

今では、特に劇団をやるようになってから車はほとんど移動手段に変わってきてドライブを楽しむという余裕はなくなってしまった。何しろ1年で2万キロ走っている。今年に入って5年で11万キロ走ったのを下取りに出した際、その年齢で無謀だとディーラーにたしなめられてしまった。

確かに感覚も鈍り持続力も落ちてきたことは事実だが、私から車をとったらこれまでのように東京近郊の子どもミユージカルには行けなくなってしまう。電車はあるが乗り換えたり夜遅くなってラッシュ時のように揉みくちゃにされたりすると疲れも酷く精神的にも参ってしまう。もう若くないのだと言い聞かせるしかないが、車で移動するにしても少しでも身体が疲れないようにと、最近では現地で泊まる回数を増やすなどこれまでとは違う行動をとるようにしてきている。

しかしどんなに疲れても子ども達に接するのが一番の楽しみでもあるので出来るだけ身体を長持ちさせたいと思っている。






2016年6月14日火曜日

2016 劇団通信6月号

日本女子サッカー「なでしこジャパン」のエースだった澤穂希さんがテレビのインタビューで「夢は描くだけでなく叶えるもの」というようなことを言っていました。

確かに「将来あのようになりたい」と夢を描いても、それを叶えようという強い意志がなければ夢は実現するものではありません。夢を描くことは「こうなりたい」という目標を定めることであって、それを叶えるためには具体的な設計図を作り、達成するための努力を繰り返しながら突き進んでいかなければなりません。

澤さんは中学時代から女子サッカーで世界一になりたいと漠然と考えていたそうですが、その当時は果てしもなく遠い夢であったに違いありません。長い選手生活の中で試合に負ければ落ち込み、くじけそうになりながら選手を辞めたいと何度も思ったことでしょう。しかし目先の結果にとらわれすぎていつの間にか「自分は世界一になるんだ」という大きな夢を忘れていたことに気づき、それからは決して諦めないで夢を追い続けついに世界一を勝ち取ったのです。
 
スポーツ選手に限らずどんな分野の人でも何かを達成したい夢は持っていても、現実の厳しさの中で埋没し叶わぬ夢となってしまっているケースが多いと思います。

世界一の山を踏破するには死を覚悟しなければなりません。それに挑戦し続ける強い意志とたゆまぬ訓練、努力があってはじめて世界と戦えるラインに到達するのです。最近幼少の頃から世界最高峰を目指している子が増えてきましたが、親の考え方ひとつで子どもの将来は大きく変わってきます。子どもに備わっている才能をどのような形で伸ばしていくか、子どものために何が大切なことか、親の賢明な判断が鍵になることを知っていただきたいのです。