2014年3月14日金曜日

2014 劇団通信3月号

責任をとるということは当事者の人間性が反映されるもので、どんなに些細なことであろうと自分の言動にしっかりと責任を持つことは人間として当然のことなのです。しかし言い逃れしたり他人に転嫁したりする人が実に多い今の世の中、様々な事件や失態がメディアで報道される度に又か又かと嘆かずにはいられません。

江戸時代の武士の世界では責任をとるということは腹を切ることにも繋がっていました。命を張って自分の言ったことを守る姿勢は現代社会ではほとんど見かけなくなってしまったようですが、腹を切ってまで責任を全うする必要はないにしても、そのようなしっかりとした精神で物事の判断を下し責任を持つ人間が少なくなっているのは事実です。昨今の企業のトップの形だけのお詫び会見や政治家のように言葉を巧みに弄して言い逃れする態度には保身が見え隠れして本気で責任を取ろうという気構えが見えません。本当に国家や企業のことを思って自分の身はどうなってもいいという強い意志で貫いていく真のリーダーはいないのでしょうか。

最近は犯罪者でさえ人権で擁護され、肉体的な痛みを伴う刑罰がないためなのか犯罪が後を絶たず、昔のような拷問でもあればその痛さを怖れて減るのではないかと思ったりもします。役職を降りれば許される傾向の「責任をとる」というのも同様で、切腹までしないまでも責任の取り方をもっと厳しく見つめていけば安易にテレビカメラの前で一斉に頭を下げるみっともない謝罪会見も減るのではないでしょうか。